朝茶事 [茶道]
7月28日朝茶事を公民館でしました。
待合には「葉々起清風」国泰寺大道師の短冊
本席には大徳寺黄梅院小林太玄師の「閑座聴松風」
炭手前です。風炉中拝見もしました。
お菓子は篠原製の朝顔(画像がない)
お花は糸芒・下野草・風船カズラ 鴨川籠に工夫して飾りました。
続き薄茶をして、
暑い中楽しい朝茶事になりました。
待合には「葉々起清風」国泰寺大道師の短冊
本席には大徳寺黄梅院小林太玄師の「閑座聴松風」
炭手前です。風炉中拝見もしました。
お菓子は篠原製の朝顔(画像がない)
お花は糸芒・下野草・風船カズラ 鴨川籠に工夫して飾りました。
続き薄茶をして、
暑い中楽しい朝茶事になりました。
今日庵の由来について勉強しました。 [茶道]
講座「南方録を読む」で裏千家の茶室「今日庵」の名前の由来となったとされる
千利休の孫・宗旦の歌を紹介されました。
千利休の孫で茶人の宗旦(そうたん)は、命のはかなさを歌に詠んだ
◆〈今日今日と/言いてその日を/ 暮らしぬる/明日のいのちはとにもかくにも〉
明日の命も不確かな世だから悔いなく生きよ、と説く。
裏千家の茶室「今日庵」の由来の一つとされる
裏千家をも意味する「今日庵」の由来もその一つ。
有名な逸話があったのだそうです。
宗旦は、「不審菴」を三男の江岑宗左に譲り、隠居所を建てました。それが、茶室「今日庵」。
建てた後、お披露目する席開きの日、禅の師である大徳寺の
清巌和尚を招いたところ、師は用事ができ、約束の刻限に遅れたそうです。
一方で、待っている宗旦にも急用が出来、外出せねばならないことに。
そこで家人に「和尚がいらしたら、明日、いらしていただくように伝えよ」と言い残して、出かけたのだとか。
遅れてきた清巌和尚は、伝言を聞いた後、茶室の腰張り板に
「懈怠比丘不期明日」(懈怠の比丘、明日を期せず。)
(怠け者の僧の私のことですから、明日のことなど約束できないので、今日来たのに)
と書き付けて、帰ってしまいます。
帰宅後、それを見た宗旦は、自分の態度を恥じ、お詫びに、一首を献じて、詫びたといいます。
この後、再び和尚を招いた茶席で、冒頭の一首を披露というものも.
「今日庵」という名にこめられている意味は、
明日はもとより一寸先もわからぬこの世、今日、この一瞬が大切である、
それはまた「一期一会」の精神にも通じている
そう考えたい気がします。
不審庵 の由来(表千家のホームページから)
「不審花開今日春(不審 花開く 今日の春)」に由来するという説もあります。
不審は「いぶかしい」という意味で、この語は人智を超えた自然の偉大さ、不思議さに感動する心
ともいえましょう。
官休庵の由来(武者小路千家のホームページから)
「官休庵」の名は、流祖一翁が父宗旦と相談して茶室を造った時に、父からつけて貰った名と伝えられています。
安永三年(1774)、一翁の百年忌の時に大徳寺第三百九十世眞巌宗乗(しんがんそうじょう)和尚により書かれた頌には、「古人云官因老病休 翁者蓋因茶休也歟」(茶に専念するために官〔茶道指南〕を辞めたのであろう)と解釈されています。
千利休の孫、元伯宗旦(げんぱくそうたん)には四人の男子がありましたが、長男閑翁宗拙(かんおうそうせつ)は故あって家を出たため、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)がそれぞれ、官休庵(かんきゅうあん)、不審菴(ふしんあん)、今日庵(こんにちあん)として初祖利休以来の道統を継ぎました。
茶道長く習っていますが、名前の由来を知り改めて先人の素晴らしさ再確認です。
千利休の孫・宗旦の歌を紹介されました。
千利休の孫で茶人の宗旦(そうたん)は、命のはかなさを歌に詠んだ
◆〈今日今日と/言いてその日を/ 暮らしぬる/明日のいのちはとにもかくにも〉
明日の命も不確かな世だから悔いなく生きよ、と説く。
裏千家の茶室「今日庵」の由来の一つとされる
裏千家をも意味する「今日庵」の由来もその一つ。
有名な逸話があったのだそうです。
宗旦は、「不審菴」を三男の江岑宗左に譲り、隠居所を建てました。それが、茶室「今日庵」。
建てた後、お披露目する席開きの日、禅の師である大徳寺の
清巌和尚を招いたところ、師は用事ができ、約束の刻限に遅れたそうです。
一方で、待っている宗旦にも急用が出来、外出せねばならないことに。
そこで家人に「和尚がいらしたら、明日、いらしていただくように伝えよ」と言い残して、出かけたのだとか。
遅れてきた清巌和尚は、伝言を聞いた後、茶室の腰張り板に
「懈怠比丘不期明日」(懈怠の比丘、明日を期せず。)
(怠け者の僧の私のことですから、明日のことなど約束できないので、今日来たのに)
と書き付けて、帰ってしまいます。
帰宅後、それを見た宗旦は、自分の態度を恥じ、お詫びに、一首を献じて、詫びたといいます。
この後、再び和尚を招いた茶席で、冒頭の一首を披露というものも.
「今日庵」という名にこめられている意味は、
明日はもとより一寸先もわからぬこの世、今日、この一瞬が大切である、
それはまた「一期一会」の精神にも通じている
そう考えたい気がします。
不審庵 の由来(表千家のホームページから)
「不審花開今日春(不審 花開く 今日の春)」に由来するという説もあります。
不審は「いぶかしい」という意味で、この語は人智を超えた自然の偉大さ、不思議さに感動する心
ともいえましょう。
官休庵の由来(武者小路千家のホームページから)
「官休庵」の名は、流祖一翁が父宗旦と相談して茶室を造った時に、父からつけて貰った名と伝えられています。
安永三年(1774)、一翁の百年忌の時に大徳寺第三百九十世眞巌宗乗(しんがんそうじょう)和尚により書かれた頌には、「古人云官因老病休 翁者蓋因茶休也歟」(茶に専念するために官〔茶道指南〕を辞めたのであろう)と解釈されています。
千利休の孫、元伯宗旦(げんぱくそうたん)には四人の男子がありましたが、長男閑翁宗拙(かんおうそうせつ)は故あって家を出たため、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)がそれぞれ、官休庵(かんきゅうあん)、不審菴(ふしんあん)、今日庵(こんにちあん)として初祖利休以来の道統を継ぎました。
茶道長く習っていますが、名前の由来を知り改めて先人の素晴らしさ再確認です。
朝茶事しました! [茶道]
台風一過、公民館の生徒さんたちと朝茶事をしました。
寄付にうちわに万葉集の七夕の和歌
本席掛物一期一会
つくばいも使い、席入り。
初炭して、主菓子いただき、懐石は後でお弁当にするため、略して中立。
あと続きお薄です。
おを花かざり
矢筈芒・檜扇・桔梗・撫子・瑠璃柳
皆さん茶歴はまだ浅いのですが、流れに沿って頑張りました!!
薄茶飲んだ後、かんたんなお弁当のお食事、お汁、香の物、デザート持ち寄り、
楽しい一日過ごしましたよ。
寄付にうちわに万葉集の七夕の和歌
本席掛物一期一会
つくばいも使い、席入り。
初炭して、主菓子いただき、懐石は後でお弁当にするため、略して中立。
あと続きお薄です。
おを花かざり
矢筈芒・檜扇・桔梗・撫子・瑠璃柳
皆さん茶歴はまだ浅いのですが、流れに沿って頑張りました!!
薄茶飲んだ後、かんたんなお弁当のお食事、お汁、香の物、デザート持ち寄り、
楽しい一日過ごしましたよ。
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